冷めたヤツは容赦なくスパッと切り捨てます

思い返せば昔からそうだった。
自分に必要がないと感じるものはスパッと容赦なく切り捨てる。

途中までいい感じだったのに、突然嫌になって無視するようになった男性も何人かいたっけ…。
大学の同級生には、「おまえ絶対いつか罰あたるぞ。あいつこの間泣いて俺に相談してきたわ…死にそうな顔してたし」なんて言われたことも複数回あり。
冷めたら早いんだよね。なんの未練もないし、いくら付きまとわれても自分の気持ちは変わらない。

たしかに自分でも酷かったなと思う。いつかちゃんと謝りたいなという気持ちはあるのです、これでも。まぁ今でも急に気持ちが冷めたりすると、あからさまに態度に出てしまうのは変わらないな。残念ながら。

府立高校時代も一年目は部活に燃え、自主的に朝練したりして充実していたものの、あれこれあって一年の終わりに退部してからは学校に行くのが面白くなくなった。授業なんて寝てる方がマシだったし、暇さえあれば友達と授業を抜けて映画館へ行き、夜はファミレスでバイト。朝はなぜか朝刊配達のバイト。

私は文系の進学クラスに所属していたのだけど、クラスメイトほとんどが近くの駿台予備校に通い、授業中に予備校の宿題をしたりしているありさま。ヤル気のない先生が教える授業は、正直しょ〜〜〜〜もない以外の何ものでもない。
で、バイト先の大学生とつるむほうが楽しくなった私は彼らの下宿に入り浸るようになり、朝帰り明けに学校へ行くものだから遅刻ばかりする。

そして高校二年修了を間近にひかえた冬、ついに単位が切れて留年が決定。今でも忘れられない土曜日の朝の光景。「あなた!どうするのよ!!」その日の朝の授業担当だった書道の先生が、留年確定を受けて悲壮な顔をして私をみつめる。
「あんた、どうするんやな!泣いてお願いして先生に大目に見てもらい!」目を真っ赤にして泣いて心配してくれる同級生たち。

でもね、私は涙一滴流さなかった。ホッと安堵したというのが本音かな。
頭ではわかっていた。高校は卒業したほうがよいということも先生に泣きついたら融通をきかせてもらえる可能性があるということも。

だけど私にとっては自分の貴重な時間を犠牲にして高校の卒業証書を手に入れるよりも、もっとワクワクして生きるほうが価値のあることのような気がしていた。少なくとも、退屈な授業を毎日淡々と受け続けるぐらいならば死んだほうがマシだというぐらい尖った感性の持ち主だったのだと思う(めっちゃややっこしい取扱要注意人物!次男が私そっくりなので末恐ろしい!)。

え〜〜っと、何がいいたかったのか忘れた…。現在酔っぱらい中!

そうそう。そして日本の府立高校留年が決定した状態で、私はニュージーランドへ飛んだのだった。ただそこに母の知りあいの知り合いがいるという理由だけで。
結果的に府立高校は退学し、現地に着いてから直談判しに行った高校へ編入することになり、水を得た魚のように勉強が面白くなった私はニュージーランドのオークランド大学へ進学。教育学と心理学専攻、社会学副専攻で卒業する。

日本へ帰国してから就職し、結婚を機に佛教大学通信学部へ編入、教員免許を取得。京都市教員採用試験に合格し晴れて公立学校教諭となる。
ところがまたここでも長いものに巻かれるのが嫌いな私は数々の矛盾に直面し退職。

誰もが恐れる有力な校長に盾突き、「先生がしておられることは教育者としておかしいと思います。それが本当に生徒のためになっていると思われるのですか?」と28歳にして言い放ったのは良い思い出だわ(笑)。もちろんそんなことをしてタダで済まされるわけはなく、痛ーいしっぺ返しをくらったのは苦い思い出。

公務員を辞めてからUSJの通訳になり、京都府立高校の非常勤講師や立命館大学の講師も経験した。府立高校中退の私が、有名私立大学の教壇に立ったというのは意味深いことなのではないだろうか。

そろそろ今日の主題へ。
実は私、9月に入学した通訳学校を退学することに決めました。先週の金曜日、見えない力に導かれるかのように気持ちが定まり、途中解約したい旨を電話で伝えたのです。

「一度はじめたことは最後までやりきるべきだ」
「人材派遣もしている会社系列の通訳学校だから、ここで半年我慢すれば今後通訳をするにあたって有利な経歴になる」

そんなことは嫌というほどわかっている。でも、自分の気持ちに嘘はつけなかった。

通訳学校出身じゃないのに通訳をしている。

それは、私にとってひとつのコンプレックスだった。でも入学してみてわかったのは、自分はもう3年間も通訳として経験を積み場数も踏んできたわけで、「通訳です」と名乗るに必要な実力も持ち合わせているということ。

足りなかったのは自信と自分を信じる心。

もう大丈夫。通訳学校に行かなくても私は自分で道を切り開くことができるはず。
今までもそうだったし、これからもそれは変わらない。

教科書通りの人生は似合わないから…自分で自分の人生を創造する。

私は道なき道をゆく。

Spice up your life with English!
「英語のある人生はオモシロイ!」

Mimi Pepper(橋爪ひとみ)
http://hitomi.pepper.jp/
日英通訳・三兄弟の母・
米国代替医療協会認定ホリスティックヘルスコーチ・
“Pepper English”主宰

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終わりよければ全て良し。
師走は笑顔で締めくくりたいところですね(^^)

偶数月28日開催、橋爪ひとみ主催「笑顔で年越し☆あけぼのマルシェ」もどうぞ宜しくお願い致します!
次回は12月28日(木)@京都あけぼの文化サロン

恋が愛に変わるとき

恋をすると、あなたはどうなりますか?

私は誰かを好きになると、相手の全てが輝いて見えて
しばし冷静さを失ってしまいます。

恋に恋してる状態っていうのかな。

周りから何を言われたって耳に入らない。
とりあえず自分が好きになったらがむしゃらに突っ走ってしまう…。

恋の駆け引きとか、時間をかけてじっくり、とか
きっと一生できないんだろうな〜。

とりあえず四六時中その人のことを考えていて
相手の全てを知りたいと思う。
もう中高生じゃあるまいし、かなりウザがられるタイプの女だね(笑)

平穏な日々を過ごしていた私の人生がガラッと変わったのは昨年末。
友人の紹介でとある人との出会いがあり、その人についてどんどん知っていくうちに
頭の中は彼のことでいっぱいになってしまったのです。

寝ても冷めても考えるのはその人のことばかり。
もう40歳にもなって、私の中にこんなに熱い気持ちが残っていたなんて自分でも驚いたし、
今の落ち着いた生活が壊れるかもしれないという不安も出てきたりして。

でもその頃はまだ「その人のイメージ」が先行していて、本当はどんな人なのかとか落ち着いて見たり判断する余裕がなかったなぁ。

そんな空回りの恋が愛に変わったと感じたのはつい最近。

少し冷静になり、もっと踏み込んで相手のことを深く知りたいと思うようになった。相手の良いところだけではなく、そうではないところも含めて客観的に見られるようになったということかもしれない。

結構ドロドロした部分や、表面からは見えないような厄介な部分を垣間見る機会もあり、それでも私はこの人と共に歩んでいきたいのか、その選択を突きつけられたような気がした。

今まで経験したことのないような苦しい道を歩むことになっても、それでも私はこの人と生きたいのだろうか。現状維持が一番無難で楽だとわかっているのに、あえて別の道を歩む意味があるのだろうか。

私が出した答えは・・・

YES.

一度きりの人生、何ごとも

しないで後悔するよりは、して後悔するほうがいいというのが私のモットー。

さて、もう勘のいい方はおわかりだと思いますが
私の恋のお相手を紹介します♡

答えは、「通訳」という仕事でした(^^)

昨年末、友人から勧められて読んだロシア語通訳 米原万里さんの本をきっかけに、通訳という仕事ともっととことん付き合っていきたいと思うようになりました。
すでに通訳として仕事をしている私ですが、通訳といってもレベルや仕事内容は様々。

米原万里さんの著書を筆頭に、国内トップクラス通訳のエッセイ本や言語関係の本を読むうちに、通訳という仕事の奥深さと魅力の虜になってしまったのです。

これまでは独学で通訳という仕事を続けてきた私だけど、ここからさらにステップアップして活動の幅を広げたいと望んだ時に、どうしても避けては通れないと痛感したのが通訳スキルの壁。

メモ取り法であったり、記憶保持力をつけるためのトレーニング、苦手分野の背景知識と単語の習得、このあたりはプロの通訳育成機関の力を借りたほうが自分の場合はよいだろうという結論に達したのです。

まだどの学校に行くのかは決めていないし、時期に関しても秋は年度途中でうまく希望のクラスに入れない可能性もある。入学も春からのほうがいいかも?不確定要素だらけだけど、とりあえずは新聞を読むこと、シャドウイングをコツコツ続けるなど、今からできることを始めています。

学校に通い始めたら、授業の予習のために週に10時間は割く覚悟がいるらしい。通訳の仕事ってきっと一生そういうもんなんだろうけどね。

というわけで、私の恋のドタバタ劇は終わり〜〜♡

これからは、通訳という仕事への愛をどんどん深めたいと思います。

【Spice up your life with English!】
(英語のある人生はオモシロイ)

Hitomi Pepper(橋爪ひとみ)

子どもの私が子どもを産んだらこうなった

お花畑に囲まれた赤い屋根の家の周りには、幸せそうに手をつなぐお父さんとお母さん、子どもたちと犬と猫。
私が子どもの頃に何度も繰り返し描いた絵の光景だ。

そんなふうになるのが夢だった。あたたかい家庭が欲しかった。仲睦まじく、ただただ平穏な日々を笑顔で過ごす揺るぎのない絆で結ばれた家族。

ニュージーランドの大学では教育学と心理学を専攻した。赤ちゃんが大好きで、様々な出産法について調べるのが大好きだったっけ。会陰切開だけは死んでも御免だと思ってたな〜。実際に私は一度もそれを経験せずに三人の子を出産することになる。

私が20歳のときに父が過労死したこともあり、将来旦那さんになる人には絶対に優しくしてあげようと心に決めていた。母親が仕事なんかしたらろくなことはない。専業主婦になって、毎日あたたかいご飯を作って家族を笑顔で迎えてあげるのが女の役目だと。
自分が育った家庭が崩壊し自分も身内から暴力を受け、幼少期の愛情不足の顛末を嫌というほど見せつけられた。

自分が子どもを産んだら、三歳までは愛情をかけてしっかり育てたい。保育園に預けるなんて子どもが可哀想。そう思っていた。

だけど、いざ出産し赤ちゃんを育てるとなると夢と現実とのギャップに愕然とした。子どもの泣き声が私にとっては耐え難く、すぐにいっぱいいっぱいになり耳鳴りがする。昼夜問わずの授乳、しょっちゅう出入りする(世話をしに来てくれていたのだけど)母の存在に気を使い居眠りもままならない日々。

子どものことはかわいいはずなのに、心から可愛いと思う余裕が自分の中にないことを思い知る。
すでに克服したはずの暗いドロドロした過去が、子どもが成長するにつれて自身の幼少期の追体験となり、もう二度と向かい合いたくなかった記憶を鼻っ面の前に突きつけられたりする。

母みたいにはなりたくないと思っていたけど、結局は私も同じアダルトチルドレンだった。おとなになりきれていない子ども。私が自分の手だけで育てたら、きっと負の連鎖を繰り返してしまうことになる。

力不足の私に変わり、子どもたちに愛情を、あたたかさを、無償の愛を与えてくれる人たちと場を探さなくては…。家族のように子どもを包み込んでくれる保育園に出会い、夫や夫の家族たち、ご近所さんたちのおかげさまで、三人の息子たちは健やかに成長してくれている。私の母も孫のことはかわいがってくれている。

もし自分ひとりでなんとかしようとしていたら、きっと虐待とかおかしなことになっていただろうな。それぐらい私にとっての育児は壮絶で絶望との戦いだった。なんでそんなにしんどいのに三人も産んだのかって??(笑)それは…妊娠・出産してその後しばらくの体験は素晴らしいものだったから。子どもの自我が芽生えてくるあたりから、私のしんどさ指数がガ〜〜〜っと上がるのだ。

子どもはかわいい。だけど育児に関しての私の器は、きっとお猪口ぐらいの容量しかない。子どもたちが私を求めてくれるときに思いっきり抱きしめ、肌をくっつけあい、手をつなぎながら話を聞く。私にはそれぐらいしかできない。日々朝から晩まで子どもと関わり、くまなく世話をやいてやることができない。

できないことを一生懸命やろうとして燃え尽き、眉間にしわを寄せてヒステリックに子どもを叱りつける、そんなことを4年ぐらい繰り返したからこそ辿り着いた結論。
「できないことはやらなくていい」「できることをすればいい」

毎日家にいて家事をし、子どもの世話をする。夢だったはずのそんな生活は、私にとってはしんどいものだったから…。3年ほど前からは外へ出て仕事をするようになった。中学校教諭の仕事も思い切って退職した。毎日同じところに務める、長時間拘束されるということも私には合わない働き方だと感じたから。

結婚後通信制の大学に編入し教員免許を取得、公務員試験に合格して手に入れた職をあっけなく手放すなんて、それはそれは母にとったら理解し難くありえないことだった。ボーナスも年金も社会的立場も全て保障されているのになぜ?今だに事あるごとに小言を言われる。

母にとってはいつまでも出来損ないの娘。「ひとりぐらい女の子産んどいたらいいのに」が最近の口癖(私の子どもたちは三人共男!)。先月亡くなった夫の祖母が母の夢に出てきて、「私が女の子になって生まれ変わるから」と言わはったらしい…。
男の子三人なんて大変、かわいそうって言われることもあるけど、私は逆にホッとしているんだけどね。自分が女の子育てるなんて想像できないし、母との確執を思うと同じ屋根の下に女が二人いる状態は避けたほうがいいような…。

こんな私の現在進行中の経験が、同じように苦しむ誰かの役に立つことがあるかもしれないと思い、つらつらと書いてみました。
我が家の長男は8歳。私もきっとまだ精神年齢は8歳ぐらい(笑)。これから子どもたちと共に成長していけたらいいな〜。いつかは大人になれるかしら??

胸の内に抱える混沌とした暗闇やいびつな心の状態を隠し、「誰かにとっての理想の私」を演じてその人に好きになってもらいたいって頑張ったこともあったけど、いつか正体はバレちゃうからな〜〜。もうこれからは「これが ザ・私」を全面に出して生きることにする。
まぁその前に、「ザ・私」を探求することから初めないといけないのだけど。

たいがいの男の人は、私の本性が垣間見えたあたりから怖気づいて逃げていくもんな。自分の手には負えないって思うみたい。相手にどうにかしてほしいって願っているわけではないのだけれどね。

一度きりの人生だから、後悔のないように生きたい。人のせいにして何かを我慢したり選びたくないものを選んだりするのはやめよう。なんだかそんなことを声たかだかに宣言したくなった魚座満月なのでした。

日英通訳・三兄弟の母・
米国代替医療協会認定ホリスティックヘルスコーチ・
“Pepper English”主宰
Hitomi Pepper(橋爪ひとみ)

「PTA」と「児童発達支援施設」と「母業」と 〜新しい自分の役割〜

薔薇が咲いたかと思えば もう紫陽花の季節。
京都のうだるような夏もすぐそこ。

思い返せば、この春からノンストップで「変化」の波に乗ってきた。
自分の中で大きかったのは、大学の仕事を辞めたこと。

週一ふたコマの授業ではあったものの、絶対に穴を開けられないというプレッシャーは予想外に私を縛り付けていたんだな、と離れてみてつくづく感じている。
学休期間中にも毎月の報酬は払い込まれていたし、考えようによっては安定して堅い仕事だったのに、私にとっては自由のないしんどさの方が勝っていた。

これは自分自身について知る 大きな学びの機会でもあったかな。
世間一般の「安定」も、私にとってはそう感じられない場合が多々あるということがわかったから。公務員を辞めるという決断も、そういえば同じような理由から下したのだった。

そんな私のところに新たに舞い込んできたお役目がいくつかある。

ひとつめは
「児童発達支援・放課後デーサービス」で小学生に英語を教えるというもの。
http://lamamansoleil.org/codomodus/kyoto_codomodas.html

中学校では中1〜中3のクラスと特別支援学級の授業も担当していたので、施設に通ってくる様々な子ども達との学びに戸惑うことはない。
月二度ほど施設に足を運び、Jolly PhonicsやB.B.カードを使ったレッスンをしている。

個性豊かな子ども達は、心地よく英語独特の音の響きや音楽のリズムに耳を傾けたり、凸凹の文字を指でなぞり触感から英語の文字に触れるなど、それぞれのアンテナを通して私のレッスンを楽しんでくれている様子。
彼らと過ごす時間は鮮烈でイキイキしていて、自分に正直に生きることを思い出させてくれる。

ふたつめはPTAの保体委員長。
保育園では、一度も保護者会の役をしたことがなかった。はじめの数年は鬱傾向が強くてそれどころではなかったし、三男が生まれてからは赤ちゃんの世話でいっぱいいっぱい。新たに通訳の仕事を始めてからしばらくは、昼夜逆転のような仕事中心の生活だった。
「ちっちゃい子どもいて大変やろ。私やるで」毎年快く役を引き受けてくれたママ友たちの笑顔を思い出す。ほんまにありがたかったです。

やっと腰を据えて、私もそういう役をさせてもらえる状況になったということなのかな。自分の母校でもある息子たちの通う小学校。11名の委員さんとPTA本部の参与の方も素敵で協力的な方ばかり。
お便りプリントの印刷や、PTAの会議・行事で学校に足を運ぶことも多く、息子たちや子ども英語クラスに通ってくれている子どもたちが嬉しそうに笑いかけてくれるのがとても励みになる。

委員会メンバーの気持ちをまとめ、どうしたら気持ち良く仕事をしてもらえるか、あれこれ考えるのも勉強になるし、すごくいい経験をさせてもらっているなと思う。

三つめのお役目。それは「母親業」
今まで育児の大半を夫任せにしてきたのだけど、子どもたちも小2、小1、年少へと成長し、母親との時間をより求めるようになってきた。
特に次男は3月生まれで新しい環境に慣れるまで時間がかかるタイプ。時々は学校を休んでガス抜きしたり甘えたり、そういう時間を作ってやるためにも私が今までと同じように仕事をすることは難しくなってきた。

家族それぞれの環境の変化に伴い、「今は子どもと一緒にいてやらなあかん」と肌で感じる瞬間がある。母親としての本能なのかな。
周りになんと言われようと、子どもにとって必要だと感じたら学校を休ませてでもずっと抱きしめていてやりたい。
うちは子どもが三人いるので、母親を独り占めできる時間は限られている。だから時々は意識的に一対一の時間を作り、デートを楽しむ♪
全身全霊で母親を求め、おっぱいの間に顔を埋めて肌の温もりにうっとりしてくれるのも、きっと今だけだから。

子どもたちを妊娠する前からあれこれ気を病み、三人目を出産し今に至るまで、私は必死で「誰か」の人生を生きることから逃れようとしてきた。
まるで重い衣服を身に着けたまま深い海で溺れそうになり、無我夢中で身体を動かし必死に呼吸しようと水面に顔を出すかのごとく、とりあえずは命を繋ぐため、死から免れるため、自分のためだけに生きた数年間だったのかもしれない。

もう私は溺れることはないだろう。重い衣服は脱ぎ捨てたし、目的地まで泳ぎ着くだけの体力も蓄えつつある。「自分」の人生を生きる準備はできた。そして、やっと私を必要としている人がいないかと周りを見回す余裕が出てきたんだね、きっと。

子どもたちが朝家を出るまでの時間と、夜眠りにつくまでの時間は、できるだけ仕事を入れないように調整し、今までの時間を取り戻すかのように子どもたちとの時間を楽しんでいる。

自分のためにしか生きられなかった私が、人のためにも生きられるようになるまで、忍耐強く支え、今も見守り続けてくれている夫や家族、母にも感謝しなあかんと思うわ。

なぜかそんなことを書き留めてみたくなった、満月の夜なのでした(^^)

Spice up your life with English!
「英語のある人生はオモシロイ!」

Hitomi Pepper(橋爪ひとみ)
http://hitomi.pepper.jp/