11年越しの再会「あけぼのマルシェ」巡り合う時間たち

2017年10月28日、小雨降りしきる京都鞍馬口。

「あけぼのマルシェ」開催中の京都あけぼの文化サロン玄関に、若い女の子がおそるおそる足を踏み入れ、「こんにちは!!どうぞお入りください」と迎えた私に「橋爪ひとみさん、おられますか?」と書いた紙を見せてくれた。

「はい、私です」
ブログか何かで私のことを知り、それでマルシェに来てくれたのかな?と思ったのだけど、次に見せてくれた紙には「11年前に・・・・学校でお世話になった〇〇 〇〇です。・・・・・」とぎっしり小さい文字で書かれている。

11年前といえば私がまだ中学校教員をしていた頃。そんな名前の女の子いたかな?と一生懸命思い出そうとするが記憶の糸がうまく手繰り寄せられない。
よくよく読んでみると、「〇〇小学校」と書いてある。
そうか、私ではなく夫の教え子だったのだ。

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私と夫が出会ったのは2000年の秋。ニュージーランドの大学を卒業後帰国し、日本での就職活動をしながら京都駅前のホテルでアルバイトをしていたところに、来春からの採用が決まった当時大学生の夫が採用前研修でやってきた。

「飛んで火に入る夏の虫」夫はなぜかこんな私に一目惚れしたらしい。
アルバイトの身なのに、休日出勤して私が嫌いな出庫作業を手伝ってくれたり、朝早い仕事だったので仕事上がりに必ず仮眠室で昼寝して帰る私を外で待ち伏せし、たまたま出会ったふりをして一緒の地下鉄で帰ったり(私は本当に偶然なのだと思っていた…)家を追い出され弟と二人暮らししていた西賀茂のアパートで料理の腕をふるってくれたり、とりあえず献身的な彼の姿に、当時ひどい失恋をして弱りきっていた私は「これだけ大事にしてもらえるんだったら、こういう人と一緒になるのもアリなのかな。」と思い始めていた。

長くなるので省くが、とりあえずホテルマンと結婚するのは嫌だった私は、今のまま就職するのであれば結婚はできないと宣言。入社に向けての式典で新入社員代表として挨拶までしていた夫はホテルへの入社を辞退し、いつか海外暮らしをしたいという私のために、急遽海外営業所のある医療機器を取り扱う会社に就職することになったが、蓋を開けてみたら海外営業所には委託のおっちゃんがひとりいるというだけで海外赴任があるわけではなかった!というオチ(笑)


(先日訪れた上賀茂神社)

そしてこのあたりの経緯はもう忘れてしまったが、当時の私はまだ海外移住への夢を抱いていたのだと思う。大学で教育学と心理学を専攻した私は心理カウンセラーになりたくて、放送大学で勉強を続けながら英語学校の教務職員として就職。生徒カウンセリングが主な仕事のひとつだったため、新人研修では徹底的に対人コミュニケーションのノウハウを叩き込まれた。今思えばかなり手厚いOJTを受けさせてもらったと思う。

話を元に戻そう。同じ会社にいたのでは海外移住の夢を叶えることはできないと思った夫は、英語ができなくても海外で仕事ができるよう手に職をつけるべく、昼間はその会社で働き、夜は大阪にある歯科技工士の専門学校へ通うという生活を3年間続け歯科技工士の資格を取得。医療機器会社の方々には本当によくしていただき、フルタイムでの勤務が難しくなってからも契約社員として働かせてもらっていた。

そうこうしているうちに結婚話は現実のものとなるが、私の母は夫との結婚に猛反対。もうすでに同棲していたことや、あれこれ理由はあったのだけど、とりあえず夫のことはボロクソ!
「あんな人と結婚するんやったら、いつどうならはってもいいようにあんたが公務員なって一人でも子ども養っていけるようにならなあかん!」
結婚したとき、夫は歯科技工士を目指す医療機器会社のパート職員という社会的立場だったから、母が不安に思ったのも無理はないかもしれない。父は私が20歳のときに他界していたし、なんとかまともな人と結婚させたいという気持ちも強かったのだろう。

心理カウンセラーになるために勉強したことを中学校現場で活かすというのも悪くはないような気がしたし、公務員信仰の厚い母に育てられたこともあり、公立学校の先生になれば一生安泰という価値観に自分を納得させようとした。

この間には私が英語学校を退職し、何百万円もする高級ジュエリー専門の宝飾店で働き始めたことなど、まだまだネタはあるのだがカット。

というわけで私は結婚と同時にイー○ンで英語講師のアルバイトをしながら通信制の大学に編入し教員免許を取得。中学校講師を経て公務員試験に合格、中学校教諭となるわけだが、そうなってくると海外移住の可能性も当面はなくなるわけで、夫もわざわざ歯科技工士になる意味がなくなってくる。
歯科技工所で修行を初めたものの、納期が迫ると朝まで徹夜で仕事。一日中誰と話すこともなく細かい作業を続ける毎日。親方が難しい人で、精神的にも病んできた夫。待遇も最悪。

あまりにもしんどそうな彼の姿を見るのも辛くて、自然と口から出た言葉は「もう仕事やめたらいいやん。私が働くから」。
私の父は過労死した。仕事とは自分の命を引き換えにしてまでするものではないし、あくまでも健康第一。嫌な仕事を我慢してするぐらいなら他の道を模索したほうが懸命だと思ったから。
当時はまだ常勤講師という立場だったけれど毎月安定した収入もあったし、夫には家にいて専業主夫をしてもらうことにした。本当はダメなんだけど、テストの採点とかコンピューター作業とか、苦手な雑務を夫に押し付け、彼には家のことをしてもらうのも悪くはなかった。

そんな生活がどれぐらい続いたのかな?
ある日、ふたりで暮らしていた夫の実家の薄暗いリビングに座っていたときに、「そうだ!夫は小学校教師になればいいんだ!」と閃いた。中学校受験した彼は小学校の履修内容だけはバッチリだったし(中学〜大学では一切勉強せず…だったみたい)、体育も家庭科も得意。子どもにも好かれるしマメだし雑用も苦にならないみたいだし、音楽さえなんとかなれば小学校の先生はむいていると思った。

すぐに調べて、ギリギリ佛教大学通信制教員免許取得課程の後期コース申込み期限に間に合うことを知り、願書を取り寄せた。「なぁ、小学校の先生になったらいいやん!」と夫に伝えた瞬間、なぜか胸が熱くなったことを思い出す。

そんなこんなで夫は通信制大学に入学、同時に「教員免許取得見込み」で教育委員会に講師登録用紙も提出した。そしたらその数日後(ぐらい)に、いきなり電話がかかってきて、欠員が出たのですぐにでも〇〇小学校での勤務をお願いしたいとのこと!

・・・

そう、まだ教員免許取得のために必要な勉強はほぼしておらず、教育現場での経験も一切ない者が、いきなり次の日から小学校の担任となったのである。嘘みたいな本当の話。

かくして、いきなり年度途中の秋から小学校三年生の担任となった夫。学級崩壊して荒れ切ったクラスの子どもたちと日々向き合い、保護者と話をするため放課後の家庭訪問を繰り返し、校長や教頭には「おまえなんか教育者には向いてない。今すぐやめてしまえ」と罵声を浴びせられ何度も泣きながら家路についた11年前の秋。

そうだったね。苦しかったけど、大変だったけど、でも学年の先生方には恵まれ、なんとか年度末まで乗り切ったのだった。私も今でも覚えている、当時の夫の生徒たちの名前。やんちゃ坊主たち、今はどうしているのかな。

「あけぼのマルシェ」に夫を訪ねてきてくれたのは、そのクラスにいた女の子だった。今、橋爪先生はどうしたはるのかな?と思って調べてみたら、私が勝手にアップしまくっている夫の写真にいきついたのだとか。
前回のマルシェは平日だったから来られず、でも今回は土曜日だったから思い切って足を運んでくれたらしい。

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後半に続く…

Spice up your life with English!
「英語のある人生はオモシロイ!」

Mimi Pepper(橋爪ひとみ)
http://hitomi.pepper.jp/
日英通訳・三兄弟の母・
米国代替医療協会認定ホリスティックヘルスコーチ・
“Pepper English”主宰

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終わりよければ全て良し。
師走は笑顔で締めくくりたいところですね(^^)

偶数月28日開催、橋爪ひとみ主催「笑顔で年越し☆あけぼのマルシェ」もどうぞ宜しくお願い致します!
次回は12月28日(木)@京都あけぼの文化サロン
出店者さん紹介→→→☆☆☆

2018年1月16日(火)
10:00〜12:00

大人対象☆英語お茶会
(詳細近日中にブログにてお知らせします)

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